みさかくんの日記

はてな市民の日常

文学者にとっての体系性

ずいぶん古い議論を持ってきます。

中原中也氏の「神学」についてです。

氏には、詩作のために必要とする認識論につねに宗教、あるいは宗教に似た精神世界での認識の過程が働いていたというのです。

一方で、学問の世界では、価値や概念の相互間の体系性が強い意味を持ちます。

とくに政治に関する意識があると、体系性とはすなわち政治的理念における体系性と読み変えられてしまい、ある言挙げの背後にいかなる体系があるのか、ということが最優先の価値判断となります。

これに精神世界での認識論が体系性を主張して立ち向かうのです。

政治的体系性をよしとするものが、精神的体系性を馬鹿にするということがいたるところでありました。

中原氏の保持した体系については記録が充分には残っていません。

けれども亡くなった時に、草野心平氏が何か決定的なことを言ったと思います。

さて、より重要なことは、ひと一人が保持する体系が、本当に保持されているのかということです。

文学の体系、哲学の体系、法の体系、政治主義の体系。

大系でもよいです。

わたしは中原氏の笑いが目に浮かぶようです。

それが何であるかということよりも、お前さんに「体系」ってあるかい?