みさかくんの日記

はてな市民の日常

2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

学問の世界に批評はいらない

成果としての論文があればよいのです。より狭い意味では、成果としての論理があればすみます。わたしは論文を作ることがありませんので、もっぱら論理をみがくことを楽しんできました。時代と先達とにめぐまれていて、どれだけ面白かったかわかりません。い…

ランカーさま

こちらダマスクセ。プリンプリン物語です。なぜプリン物語ではなかったのかついに謎は解き明かされませんでした。遺憾です。

やはり

思う存分、学問をやってみたいということです。世紀末の前後、いまにいたるまで、苦闘の連続でした。生活のためには働き続けるよりほかありませんでしたので、制限された条件のもとでしか勉強することができませんでした。やりたいことのグランドデザインを…

文学者にとっての体系性

ずいぶん古い議論を持ってきます。中原中也氏の「神学」についてです。氏には、詩作のために必要とする認識論につねに宗教、あるいは宗教に似た精神世界での認識の過程が働いていたというのです。一方で、学問の世界では、価値や概念の相互間の体系性が強い…

国文学の三角先生

国文学者の三角先生のゼミに通いました。熊野権現縁起絵巻購読。由緒書きに近いものです。参考書は『神道集』。東洋文庫です。東洋文庫は、少し大きめの書店にならバックナンバーが置いてあるでしょう。先生の着想は、本地垂迹説、逆本地垂迹説などの過程の…

NHKの人形劇で

カラス天狗のことを知りました。いくつのときだったでしょうか。真田十勇士にしても新・八犬伝にしても、なかなかしっかりした肉付けをしてあって、補陀落渡海 (ふだらくとかい)だの天竺だのまあ、変わったことを教わりました。熊野牛王については、もう少…

新・八犬伝

丶大法師(ちゅだいほうし)こと金碗大輔(かなまり だいすけ)。この人物が全篇を横断します。人形劇で観ていたのですけれども、たまずさが怨霊ほどに執拗なタフさがありました。

都会のカラス

カラスが里から都会へと出る傾向は、戦前からあったそうです。人が住んでいれば、カラスも住める。そして、むかしは神様の使いでもありました。

雨降り近し

散歩道に、ツバメが飛びます。親ツバメでしょうか。ついでにとんびも飛んでいます。なんなのでしょうか。

熊野とカラス

熊野にはカラス天狗の伝説があって、それは、ひろく知られていました。意匠として、カラスの刷り物の入った熊野誓紙なんてものもあります。

朝のパン屋さん

あさの散歩道には2件のパン屋さん、また、できたてのパンを出すので名の知れたコンビニエンスストアがあります。全部食べてみたい。けれども、そういう訳にはいかないので、ときどき2、3種類のパンを買って帰ります。冷たいミルクにも、あたたかいミルク…

いま そこに ある ことば

いま そこに ある 危機 という名の作品がありました。ことばの機能は、いま そこに ある 言葉 として把握されます。

人がいなくなっても言葉だけがのこる

言葉がのこります。それでは、言葉とは何なのか。

折々のうた、とは

言霊の追究でもなく、詩魂の追究でもなく、無形のいのち、という意味だったのではなかったでしょうか。

ひとりの読者が正解にたどりついたようです

わたしのでばんはここまででしょうね。

大岡先生は、話を別の方へとすすめますが、

それでは、思考は精神とどのように関わるのでしょうか。

いのちのうた

大岡信氏の講演記録に「いのちのうた」というものがあります。詩ひいては短詩型文学は人のいのちを生き延びさせる。ここからはじまります。コトバがいのちによって集積され、いのちがコトバによって形成される。わかりやすく「いのち」という言葉になってい…

ただいまの巨人軍

いろいろなヒーローがでてくるので、安定感があります。ニュースをみるのが楽しみです。

・・・・・・ない

「ざんげの値打ちもない」(阿久悠氏)「ラーメン煮えたもご存じない」(田辺聖子氏)のように、最後がない、で打ち消されると少し深みがでてきますね。

寓話には、この世での存在意義があります。

いつの世でも、その世の過去に、外に、幼さに、単純さに、世知にとはずれていくのです。それは、寓話を構成する人間あるいは人間たちが、「はずす」のです。わたしの友は、そのはずす方の研究に命をかけました。わたしは、はずす必要が生じた元を解明するこ…

文藝には文藝そのものの面白さがあります。

その面白さを楽しむことは健康な振る舞いです。しかし、文藝の存在意義を探すのは、場合によっては不健康かも知れません。意義がないのもいいのではない?

あるひ、おばあさんがかわでせんたくをしていると

おわんのふねにのったきんたろうがドンブラコ ドンブラコ とながれてきましたやれやれ

わたしはあわせて14のブログをもっていますが

その中に「ドーナガおじさんの日記」(ココログ)というものがあります。これは、あしながおじさん、という名作と張り合って生まれたキャラクターです。そして、単身カッパドキアを旅しています。父と私の分身です。

それで、パズーのところにシータがふってくると

貧弱なわたしの記憶では、佐藤友美氏のイメージが重なります。その頃、私の父はあちらこちらと遺跡の探検をしていました。絵葉書が送られてくると、写真がどれも不思議な色と形をしています。 この形象の探究も文学の存在理由のひとつですね。

誰がどんな情念で・・・・・・

未来への遺産、です。佐藤友美氏登場。白い服を着て、遺跡のあちらこちらにあらわれます。あるとき別の番組にでていらして、なんだか糸切り歯のとがった、美しい人でした。誰がどんな情念で・・・・・・。謎めいていますね。

星一徹は中日のコーチに

中日のファンにとっては、どんなものだったのでしょうか。星一徹の画の入ったTシャツを着ている中日ファンなんているのですかね。疑問です。

大リーグボール

大リーグthe major leagues。そこで大リーグボール、でその頃海の向こうは夢の又夢でした。あこがれなんですね。

おもいこんだら しれんのみちを

思いこみの一種ですね。思いこみのどこが悪いというのでしょうか。

花形満

飛雄馬の好敵手は、花形満です。ことばづかいが丁寧で、「星くん」と呼びます。しかし、あくまでも好敵手なので、飛雄馬が何か新技を開発したり、調子を上げてきたりすると、前に立ちはだかります。やっかいな人間関係ですね。飛雄馬のお姉さんの明子を奥さ…