規範
familiae spiritu ファミーリエ・スピリトゥ。
はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」 情報を受け、こちらからも吐き出すための媒体です。約20のブログを用いて、いま、社会に還元しておかなくてはならないなにものか、の核心部分を描き続けています。
最近、戦時中に同級生の吉満義彦氏と会って、ドストエフスキーにおける宗教感覚に関して意見交換をしたらしい、との情報を得ました。 しかし、そのときにカトリックの教義一般に関する議論があったかどうかは不明なのです。 「矢張り一元論なのだろうね……」…
正しい、日本語です。この言葉を聞くことがなくなってから久しいです。 終点に到着してホッとすることと、ああ、終わってしまうという心残りと、ともにあるところが、良いのでした。
実践のモデルを一つ選ぶとしたら、だれが好適な例となりましょうか。 バンクシイでしょうね。むろんわが国の歴史にあっては、「近代」がそれぞれの分野でいかなるものであるのか、という現状把握が問題となります。文芸、音楽、宗教、哲学、歴史学、科学など…
棋譜は、反転させることができます。しかし、これは本物の反転ではありません。このことは、楽譜にある音符を逆行するときにも同じことが言えます。時代は変わっていて、録音をさかさまにたどることが可能ですが、音の列は音符の順に楽譜通りに反転させても…
「支那の元素は一なり、日本の元素は二なり。」(福澤諭吉著『文明論之概略』岩波文庫、p.36) さいわいであった、と述べたのです。あとは、丸山眞男氏の『「文明論之概略」を読む』(岩波新書)をご参照願います。
根本的に、世界に向かってうってでるための大義名分が必要です。 それは、例えば、古くは豊臣秀吉の考えたことにも通じるでしょう。 しかし、明治以降は、西洋のものの考え方にも通用する哲学でなければなりませんでした。 問題提起に対する回答は、安岡正篤…
窮地に陥ったひとびとを、なんとかして救済しようとする心があります。 そこで、この仏教的には「慈悲心」であるものを、何とかして尊重したいと思います。 思考の発生の現場を、さまざまに説いてみると、定見あるいは定常の意識があらわれます。これは、外…
なかなか大変な役どころです。しかし、これが生きることの味わいです。
実は、30年以上前に結論は出ていて、京都学派も文学界派もともに俎上に上げることをしなかったことがあります。 それが、今日においても我々が本当に失っているものの正体です。
こここそが、戦前から今にいたるまで、我が国の解決すべき課題であり続けている代物なのです。
知的営為の有無を問わず、またその表出の有無を問わず、地上の時は流れていきます。生きる時間の意味は個々の人間によって異なります。しかし、おおまかなところでは結論は出たようです。
もともと資本主義文化が欧州精神に与えてきた負の影響を克服することが目的でした。 しかし、ここで、この「資本主義文化」が「近代的価値観」と一般視されるようになったのです。 この読み替えが失敗でした。
これは面白い本でした。
このことは、実は我が国の文学史に大きな錯誤をもたらしました。 「ヴァレリーのお墨付き」というものです。 ヴァレリーの論説を、ある対象に関する価値判断の試金石に使うことが流行しました。 しかし、本当は、ヴァレリーの論説を敷衍することの方が重要だ…
その昔マミーボートという水中モーター付きのおもちゃがありました。 マミーを飲むと当たるのです。 とても楽しかったです。
殺人刀活人剣、とは禅語です。でも、キリスト教でもそこまでいかないとダメですね。