みさかくんの日記

はてな市民の日常

小林さんの苦労

最近、戦時中に同級生の吉満義彦氏と会って、ドストエフスキーにおける宗教感覚に関して意見交換をしたらしい、との情報を得ました。

しかし、そのときにカトリックの教義一般に関する議論があったかどうかは不明なのです。

「矢張り一元論なのだろうね……」との発言があったとのことでした。

これでは、ベルクソン宣長、白鳥と論じて、自身の信仰のための見極めは、その余裕を持ちません。

つまり、自身の信仰に関する見極めを行う時間を犠牲にして、信仰の原点である精神活動、直観、直覚の意味の解明を行ったのではないか、と思うのです。

ヤーノシュ・シュタルケルのバッハ無伴奏

いい音です。こたえられません。結局カザルス、シュタルケルロストロポーヴィチビルスマ、グートマン、堤剛氏、藤原真理氏、長谷川陽子氏、といった聞きなれている音に回帰するのです。

なんだか、LP時代の音とCDの音が異なるようにも思います。

 

リヒテル、スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団によるショパン協奏曲第2番

この曲は、かつてフランソワのモノクロ演奏映像を視聴して、すっかり魅了されました。

ここでは、リヒテルが、強い打鍵で牽引します。もちろんリスト協奏曲の場合とは異なります。そして、美しいメロディーラインは、別途活かしています。この使い分けが凄いように思います。

スヴェトラーノフは、意外にもあまり数を聴いていません。これから勉強し直すつもりです。

深夜に流れるレオニード・コーガンの音

数年前、フジコ・ヘミング氏との共演で指揮者としてパヴェル・コーガン氏が来日されましたが、氏の父上がレオニード・コーガンです。ソビエト当時の楽壇で、ピアノはエミール・ギレリス、ヴァイオリンはレオニード・コーガンがいわゆる国際派の立場を維持していました。これに対して、スヴァトスラフ・リヒテルダヴィッド・オイストラフが存在していました。

いまとなっては、古き良き時代です。

フルトヴェングラーの思念

ウィーンフィル100年の記念講演で、「高次の意味における芸術的訓練は何であるか」と題を立てています。

 

このことは、バラバラに存在していたもろもろの音楽的課題を統一するチカラを持つように思います。

 

普段は、そのような「統合」などということは、わたしは考えませんが。